Column

私がなんとなく印象に残ってる昭和(1970年~80年代前半)の曲を
取り留めもなく、当時の思い出や感想とともにお届けするR50限定コーナー。

♪個人授業(フィンガー5)
1973年、フィンガー5のデビュー曲。
とにかく当時小学校5年生だった姉が熱狂的ファンで、
特にリードボーカルのあきらくんにぞっこん。
この頃は父の転勤の都合で埼玉県大宮市(現さいたま市)の社宅に住んでいたわけだが、
その隣に大宮市民会館があり「8時だよ全員集合」や
「コント55号」などをはじめとした、
当時の人気番組の公開放送が度々行われていた。
そこで「フィンガー5出演」と聞くと、姉と同じ団地に住んでいるその仲間たちは、
地の利を生かして先頭に並ぶ。
最前列に陣取り、他の親衛隊に負けじと「あきら~、あきら~」と狂喜乱舞。
「おまえも一緒に叫びなさい!!」と姉。
その迫力に押されて「あきら~、あきら~」と強制的に6歳の私も「黄色い声援」を送っていた。
番組後半はそんな狂喜の渦の中で寝ていたような…。
というわけで、個人的にはそんなにファンではなかったが、
姉のすさまじい熱狂ぶりとともに忘れられない曲となっている。

狙いうち(山本リンダ)
1973年。「ウララウララウラウララ~ウララ~ウララ~ウラウラよ~」
あのファッションと振り付けでこの歌詞。強烈すぎる。
6歳の私がテレビにかじりつくように見ている姿を見て、
おふくろが「こまっちゃうな~」と一言。

ジョニーへの伝言(ペドロ&カプリシャス)
1973年。当然のことだが、当時6歳の私に、
この歌の世界観は理解できなかったけど、
「ジョニーが来たなら伝えてよ~2時間待ってたと~」と、
もう歌い出しで聞き手の心鷲掴み。
偶然だけど、ここまでの3曲、作詞は全て阿久悠氏。
このふり幅の広さ。私の中では日本最強の作詞家である。

あなた(小坂明子)
1973年。この歌のキーワードは「小さい」にある。
♪もしも私が家を建てたなら小さな家を建てたでしょう♪
♪大きな窓と小さなドアと♪
♪真っ赤なバラと白いパンジー子犬の横にはあなた♪
と、この人は小さいものを好んでいたらしい。
しかし、彼女自身はとても体格が良かった。
小さな家じゃ狭い!小さなドアじゃ入れない!子犬よりシェパード!
大きなお世話か。

学生街の喫茶店(ガロ)
1973年。もう哀愁感がバリバリの曲。中学生になるまで
♪学生で賑やかなこの店の♪片隅で聞いていたボブディラン♪
のボブディランとは人名ではなく曲名だと思っていた。
いずれにしても欧米人の名前だから格好がつくわけで、
このボブディランのところが
吉田拓郎とか岡林信康だったら売れなかっただろうね。

シクラメンのかほり(布施明)
1975年、小学2年生のとき、アニメやヒーローもの以外で私が初めて手にしたレコード。
なぜ「シクラメンのかほり」だったのかは、自分でもよく分からない。
この年、一番売れていた曲だったからだけのことだと思う。
作詞・作曲は小椋佳。この人も天才(東大法学部卒だから本当の天才だけど)。
他にも、夢芝居や愛燦燦など、彼の外見と詩の世界観とのギャップがまたなんとも言えない。

私鉄沿線(野口五郎)
1975年を代表する名曲。西城秀樹、郷ひろみとともに
新御三家と言われた野口五郎は、二人に比べ派手さはないものの、
歌もギターも上級の実力派で、この曲で大ブレークした。
他にも甘い生活、オレンジの雨、青いリンゴなど、
蒼くて地味で暗い男女の恋路線を歌っていたのだが
今聴くと結構クセになる。
でも…私鉄沿線。
改札口で君のこと、いつも待ったものでした、電車の中から降りてくる、君を探すのが好きでした♪
と、本気で人を好きになればこれくらいのことはするだろうが、
今の時代、一歩間違えばストーカー扱い。

よろしく哀愁(郷ひろみ)
1974年。新御三家シリーズということで郷ひろみ。
数々のヒット曲があるが、個人的にはこの曲がベスト。
歌詞もメロディーもシンプルでなんとも馴染みやすい名曲。
「男の子女の子」「お嫁サンバ」「How Manyいい顔」等々
キャッチー極まりない曲が多かっただけに、この曲のシンプルさが際立っている感じ。

傷だらけのローラ(西城秀樹)
1974年。西城秀樹といえば「ヤングマン」という人も多いだろうが、
私は初期の曲への思い入れが強い。
「傷だらけのローラ」は「情熱の嵐」と並ぶ初期の代表曲である。
今では誰も歌えないくらい赤面ものの歌詞に、
クイーンのボヘミアンラプソディにも匹敵する劇的な曲調。
これは彼以外が歌っても絶対サマにならない。ギャグになるだけ。
今思えば、あの声量と歌唱力は本当に圧巻だった。
どうでもいいけど、このローラとかジョニーへの伝言のジョニーとか、
外人?ハーフ?愛称?作詞者に聞いていみたい。

22歳の別れ(風)
1975年、フォーク時代末期の名曲。
歌謡曲から精一杯背伸びして洋楽やロック、フォークなどを聞き出したころ、
無性にこの歌をギターで弾きたくなった。
ただ、クラシックギターとフォークギターの区別もつかず、
お年玉をはたいて買ったギターが運悪くクラシックギターだった。
「22歳の別れ」を弾きたくて買ったのに、
仕方なく「禁じられた遊び」を練習した。蒼い時代の一幕である。

いちご白書をもう一度
1975年。中学2年の時、念願のフォークギターを手にした。
スリーフィンガーという技が必要だった「22歳の別れ」は
初心者の私にはレベルが高かったので、
コード進行もアルペジオも簡単だったこの曲にトライ。
思ったよりあっさり弾けるようになった。
ところが、ギターのイントロはカッコ良く弾けたものの、
歌い始めた途端、あまりの歌の下手さに、友人が泡吹いて笑っていた。
何気にかなり落ち込んだ記憶がる
「♪雨に破れかけた街角のポスターに♪」この部分は、今聴いてもグッとくる。

時の過ぎゆくままに(沢田研二)
1975年。この人も代表曲がたくさんあって、この1曲!を選ぶのは難しい。
「危険な二人」「勝手にしやがれ」との三つどもえで
悩んだ揚げ句の「時の過ぎゆくままに」。
曲云々より、彼の場合はとにかくセクシーでカッコ良かったこと。
今の時代、20代前半でここまで大人の色気を持ったミュージシャン、タレントはいるだろうか。

さよなら(オフコース)
1979年。実は私、中学高校は甲斐バンドの超大ファン。
(甲斐バンドの話はいつか別枠で)
当時周りに甲斐バンドファンは皆無で、ほとんどがオフコースのファン。
「どこがいいんだか」とのたまっていたが、家に帰るとこっそり聞いていた。
「さよなら」でメジャーになる前の曲の方が気に入っている。

異邦人(久保田早紀)
1979年。私の中では昭和歌謡の最高傑作だと思っている。
エキゾチックで郷愁を誘う歌詞とメロディーは、一度聞くとなかなか頭から離れない。
そして、この楽曲以上に謎めき神秘的だったのが久保田早紀である。
謎めいていたというのは美人だったということ。
器量の悪い人は決して謎めいたりはしない。

愛はかげろう(雅夢)
1980年。この雅夢も含め、数多くいた一発屋。
前述した小坂明子や円ひろし、堀江淳、アラジン、トムキャット…
あげれば切りがないが、そんな一発屋の中で唯一レコードを買ってしまったのがこの曲。
つま恋のヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)で
グランプリを受賞してのデビューだったが、
当時は、ポプコンのグランプリ受賞曲は必ずヒットしていた。
チャゲ&飛鳥、ツイスト、クリキン、あみん、アラジン、
それから中島みゆきもこのコンテスト出身だったような…。
メジャーになるか一発屋で終わるか、このコンテスト出身者は極端だった。

山のいぶき(作者不明)
「山のいぶき」。日本酒の銘柄ではない。合唱曲である。
中学3年の時の合唱大会で我がクラスが歌った曲である。
私は中学を途中で一度変わっているが、なぜか3年間指揮者を任された。
歌が下手だから皆の足を引っ張らないよう指揮をやらされたのか…定かではない。
指揮者といっても中学のクラス対抗レベルなど、
ただ右手を淡々と4/4拍子で振っていればいいだけのこと。
しかし、この「山のいぶき」は手ごわかった。
イントロの数章節がなんと6/8拍子、
それから4/4拍子に切り替わるのである。
6/8拍子をピアノ演奏者に向かって左手で、
4/4拍子に切り替わる時は右手に変えて正面に向くという離れ業。
そういえばその時のピアノ演奏の女の子に、
「家に来て一緒に練習しない?」と声をかけられたときは、
かなり動揺したなぁ。果たしてあの子に下心はあったのだろうか…。

昔のアニメソング
最近のアニメソングは、おしゃれで洗練されているけどインパクトがない。
ドラマの主題歌と区別がつかない。
私が子どもの頃のアニメソングのインパクトは強烈だった。
特徴的だったのが、校歌の最後に必ず「ああ~○○○○高校」と入るのと同様、
最後にはアニメタイトル(あるいは主人公の名)を高らかに連呼する
巨人の星…~巨人の星を掴むまで、血の汗流せ涙を拭くないけいけ飛雄馬、ドンといけ~
デビルマン…~悪魔の力身に付けた~正義のヒーローデビルマン~デビルマ~~~ン~
ガッチャマン…~地球はひとつ、地球はひとつ、お~ガッチャマン~ガッチャマン~~~
サイボーグ009…あ~あ~サイボ~グ~、ゼロ、ゼロ、ナイン~
タイガーマスク…いけ!いけ!タイガー!タイガー!タイガーマスク~
ドカベン…がんばれがんばれドカベン、がんばれがんばれドカベン、山田太郎~
魔法使いサリー…魔法使いサリー~サリー!サリー!サリーちゃん!
ひみつのアッコちゃん…それはひみつひみつひみつひみつのアッコちゃん!
エースをねらえ…ベストを尽くせ〜エースエースエース~エースをねらえ~
もう、これでもか!!って連呼してる。
今の時代、ダサ〜で終わるんだろうね。
でも、デビルマンのオープニングやエンディング、タイガーマスクのエンディングとか今聴いてもしびれる名曲も多い。

女性アイドル3連発
お気に入り70年代女性アイドル。

桜田淳子(お気に入り曲/はじめての出来事)
1975年。この年に限れば、間違いなく山口百恵より可愛かったしスタイルも良く、人気もあった。

キャンディーズ(お気に入り曲/微笑み返し)
1978年。後楽園球場での解散コンサート、テレビの前で正座して見てました。泣きました。
露出が多くてもいやらしさがない、私の中では歴代最強アイドルグループ。
しかし、この「微笑み返し」の歌詞、切なすぎる。
明日には、いや、下手したら数時間後には別れなければいけない二人。
別々の道へ進むための引っ越しの準備。
わずかなきっかけで号泣寸前の二人がいじらしくギリギリまで明るく振る舞う。
「可笑しくって涙が出そう」と健気に意地をはる。
たまりません。

ピンクレディー(お気に入り曲/S.O.S)
1976年。あのスタイルにあの衣装。小学生とはいえ、生唾を飲んでみてしまった。
我々の世代では、彼女たちこそが伝説の国民的アイドル。

ここから洋楽3連発

オネスティ(ビリージョエル)
1979年。はじめて真剣に聞いた洋楽。
中学1年の時、ココアのCMソングだったこの曲。 好きだった女子が「この曲大好き」とか言うから、
「僕も!」とか嘘をついて、シングル盤まで買って夢中で聴いた。
英語の歌詞の上にフリガナをつけたりして。
"オネスティ" なのになんで "Honesty" とつづるのか不思議でならなかった。
また、当時はビリージョエルとシルベスタースターローンの区別がつかなかった。
歌詞という意味では、「ピアノマン」の方が、お気に入り。

ボヘミアンラプソディ(クイーン)
1975年。私は洋楽が苦手だ。何を言っているのか歌詞の意味も分からずに
「いい歌だ」と言う人の気が知れなかった。
まあバンド少年だったら技術やサウンドに魅力を感じるのかも知れないが、
音楽センスのない私は、歌詞が聞けてなんぼ!だったから中々好きになれなかった。
そんな洋楽嫌いな私がよく聴いた数少ないアーティストがクイーンとビリージョエル。
クイーンは邦楽とか歌詞とかサウンドとか、超越してしまっている感があったな。
知的でクリエイティブなバンドだった。

セパレイトウェイズ(ジャーニー)
1982年。中学の頃、やたら流行っていた。
自分に聴く意志がなくても何度となく聴かされたので(ラジオ、校内放送等々)、
それなりに印象深い曲となっている。
ちなみにジャーニーというバンドは、全員が16歳の時に結成され、
結成当初のバンド名は"センチメンタル・ジャーニー"だったらしい。