Column

2022年6月3日
大宮市下町三丁目の夕日〈2〉


前回からの続き。

Google Earthのストリートビュー。
今更ですがこの機能、
素晴らしいですね。
結構ハマります。

先日、ストリートビューで、
自分がこれまでに
住んできた街を疑似散策。

居住していた団地やアパート、
よく通った店など、
ほとんどが私の頭髪同様、
無くなったり変わり果てていて
寂しいやら懐かしいやら。

2006年以降は、現在の
川崎に落ち着いていますが、
それまでの39年間で
引っ越し12回。
約3年に1回、
引っ越してきたことになります。

埼玉、神奈川、東京の1都2県内を
ちまちまと移り住んできました。

今思うと中々落ち着きのない
せわしい人生でしたね。
私の性格と同じです。

中学生までは、
父の仕事や家族構成上の都合で、
それ以降は私の心療的な病の問題や
仕事、人間関係の都合によって
転々としてきた感じです。

そのせいか、実家とか、故郷とか、
幼なじみとか、ピンときません。

若干水の合わない
街もありましたが、どこも
住めば都はるみ、暮らせばミヤコ蝶々
で、さまざまなエピソードと
深い思い入れがあります。

中でも私にとって特別な街が
前回紹介した大宮です。

1歳から7歳までを
大宮で過ごしました。

たったの6年、
記憶に残っている年数でいえば
5歳から7歳までの3年間だけですが、
郷愁を覚えるのはここだけです。

良しにつけ悪しにつけ、
私の人格が形成されたところです。

少し話はそれますが、
私が住んでいた頃の
大宮駅の特徴のひとつに
東口と西口の
激しいコントラストがあります。

百貨店、飲食店、パチンコ屋さんなど
大宮の賑わいのすべてが東口に
集約されていました。
私の記憶では、西口には
煌びやかな施設は
ひとつもなかったかと。
何もないだけでなく、
なんとなく小さな子供は
足を踏み入れてはいけない…
そんな見えない
バリアがあった印象です。

イメージとしては一昔前の
池袋駅の東口と西口に近いかな。

その後、大宮駅西口は
1980年以降の再開発で、
大型商業施設が次々と誕生。
今や東口より人の流れが多く
すっかり垢抜けたエリアと
なっています。

話を戻しましょう。
私が住んでいたのは
大宮市下町三丁目にあった公務員団地。
100世帯以上はあったかな。

2Kに家族4人暮らし。
私も小さかったので、
狭いとか不憫だとかは
感じませんでしたね。

ご近所さんとの
付き合いも温かく親密でした。
作りすぎた料理を分け合ったり
急用時には互いに子供を預けあったり、
複数家族で旅行に行ったりと。

遊び仲間にも事欠きませんでした。
基本的にはほとんど団体遊び。
年上年下入り乱れて
野球、缶蹴り、ドッチボール…

ラッパを鳴らした豆腐売りが来る時
それがお開きの時間でした。

まさに昭和、
三丁目の夕日の日常が
そこにありました。


次回につづく