Column

2020年11月29日
勝者は最初のコーナーでは決まらない
(遠い昔の自粛の話 2)。


前回からの続きです。

私が「できた人間だな」と
感心する人は、

自慢話をしない。
苦労話を自ら語らない。
調子に乗らない。
人の話を聞ける。

そんな人だと思っています。
性格の良し悪しとか
相性が合う合わないとは
関係なくしてね。

ひとつも当てはまらない私。
ぐうの音も出ません。

この辺りに、
パニック障害を招いた
要因があるのかと。

ということで今回は私の自慢話から。

薄毛のくせに自慢毛だけは
ボウボウです。

物心ついた時から
運動神経だけは良かった私。

4歳の時にはグルングルン
逆上がりができたし、
徒競走では小学校時代負け知らず。
ドッチボールも野球も常にエース。

ホントたまたまね。
何ひとつ努力せずに。

これが後々、
私の人生を狂わせていきます。

小学生では、
足が早くて、愛想よければ
問答無用で和の中心に
居られた時代でした。
勉強の不出来なんて、
いとも簡単に覆い隠せたわけです。

(頭皮を覆い隠せなくなったのは
罰当たりでしょうね。)

一切の努力なしに、
運よく良かった運動神経だけで
常に組織の中心にいました。

調子に乗って、
世の中を甘く見ますよね。

中学まではその余韻で、
乗り切りましたが、
さすがに高校へ行くと、
努力している者が
強くなっていくわけです。

小学校時代の栄光がどんどんと
遥か彼方へ霞んでいきます。

私、何をやっても他の人より
「一定」のレベルまでは
早く上達するんです。

でも、そこで満足してしまう。
何も秀でない。
(禿でない?)。
器用貧乏と言うんですかね。

その次の壁に当たると
すぐ投げる。

努力を拒否する。そして、
努力する者に抜かれる。

抜かれても発奮することなく
苦笑いでごまかす。

結果、高校3年の時は、
バスケのレギュラーから外れました。
同期に抜けれ、2年生にも抜かれ。

キツイ練習には休まず出ていたけど、
心の甘えの積み重ねが
招いた結果でしょう。

基本は↓




あまえんぼでしたから。

スポーツにおいて、
レギュラー落ちなんて経験もないし
想像もしてなかったので、
気丈に振る舞っていましたが
かなり凹みました。

今思えば、パニック障害の前兆が
始まっていたのかもしれません。
神経質で気の小さい私が
拠り所にしていた
僅かな自慢と自信のカケラが
剥がれ落ちたわけですから。

表面化しないものの、
心身のバランスが崩れはじめて
いたのでしょう。

そして、高校卒業後の環境変化で
一気に噴火(したと思われます)。

一般的には神経質で繊細で
責任感の強い人が
なりやすいと言われている病気です。
付け加えれるならば、小心者のくせに
目立ちたがり屋の人に多い気がします。
根拠はありませんが。

(なぜなら私がそうだから)

とはいえ、私の場合はまだ軽症です。
重症な人は、過呼吸になり
救急車で運ばれたり、
社会復帰を果たせない人もいます。

自分の性格が招いた病気ですが、
その一方で
頭髪同様、この病さえも
自慢話や自虐ネタに切り替え、
乗り越えられてきたのは
自分の性格が幸いしたかもしれません。


先日たまたま観た
「レーサーになりたかった犬」という
映画でこんな台詞がありました。

勝者は最初のコーナーでは決まらない。

この言葉を聞いた時は
こんな感じ↓




ずっきんときましたね。

私は小学生という
人生の最初のコーナーで
勝者だと勘違いし、
調子ぶっこいて、
ガッツポーズをしながら走り、
思わずすっ転んで、
危うく人生棄権する
ところだったわけです。


連載でパニック障害ネタを
書かせてもらいましたが
最後に、
もし周りにパニック障害の人がいたら、
どうか普通に接してあげてください。
発作が起きたら
そっと受け入れてあげてください。

「気のせいだよ」

この言葉だけは避けてください。
タブーです。
気のせいじゃないから
苦しんでいるので。

私が30歳を過ぎた頃、
パニック障害という病名と症状が
ようやく世間に認知されはじめました。

私の症状がだいぶ改善されてきたのも
この頃です。
周りの理解が進むだけで
こんなに気が楽になるのか
と痛感しました。
「理解」がこの病気の最大の良薬です。

パニック障害に限ったことでは
ないですけどね。


自慢話にお付き合いいただき
ありがとうございました。

「コロナが流行って大変だったんだよ」
自慢げに話せる日が来ることを願うばかりです。


ではでは。