Column

2019年3月28日
わんぱくでもいい。
たくましく育って欲しい。
坊主強制に抗った末の天然坊主。

Nai Nai FiftiesのTシャツ完成。



なぜ一部モザイク?

気になりますよね。
でも、固有名詞なので、
それは秘密の花園ラグビー場。

とうことで今回も、生温かい目で
ご拝読を。

前々回のコラムの最後に予告した
私が「何にハマってきたか」の第一弾。


少年期の話(1970年代)。

ブロック塀や雲梯の上を走ったり、
高鉄棒によじ登って立ち上がったり。

今の自分が見たら直視できないような、
周囲の子が息を呑むような、
命知らずというか、
度胸満点の遊び方をしていた少年期。

生傷は絶えず、救急車で運ばれるような大怪我も 1度や2度じゃない。

この時期、頭部を何度も強打した影響は
あったのか否か(きっとある)。

この少年はきっと大物になる。

たぶん。
きっと。

40年数年後…

器の小さいガリガリの
貧相な大人になったとさ。

完。

そんな少年期は、兎にも角にも
野球漬けの日々。
仮面ライダーなどのヒーロー物、
メンコ、虫取りなども
人並みにはハマったけど、
野球に費やした時間に比べれば1割位。

記憶としては学校以外の時間は、
ほとんど野球。

ずっと団地住まいだったから、
場所とメンツ集めには苦労しなかった。

雨で野球ができない日は
家でドカベンとかの野球漫画を読み、
日が暮れればテレビでナイター観戦。

トマソン、ブリーデン、ラインバック、
シェーン、ホプキンス、
シピン、ボイヤー…

世界的なハリウッド俳優より
はるかにスラスラと当時の助っ人外人の
名前が出てくる。

もちろん、高校野球に関しては
以前のコラムにも書いた通り、
マニアレベルだったし。

野球に関しては
飽きるということがなかった。

メンツが集まらない時は、
一人で日が暮れるまで黙々と壁当て。

当時は平和というか寛大でね。
軟式のボールをボンボンと何時間も
壁に当てていても「うるさい!」とか
注意されたことがなかった。

最近は公園とかでもさ
「危険」とか「うるさい」とか
子供の遊び、制限しすぎだよね。

わんぱくでもいい、
たくましく育って欲しい。
◯大ハム。

また、話が底抜け脱線ゲーム。


ピッチャー堀内、
振りかぶって
第一球投げました。
アウトコースのストレート、
ストライーク!

とか、一人で実況しながらの壁当て。
もうかなりのデンジャラスボーイ。
(やはり頭部複数回強打の影響か)

投げるだけでは飽き足らず、
壁にボールを当てた瞬間、
グローブをバットに持ち替え、
跳ね返ってくるボールを打つという
一人バッティングセンターゲームも。

見事打ち返したボールが、
倍の勢いで跳ね返ってきて、
鼻を直撃し鼻血ブーになったことも。
血まみれの一人壁当て。

そんな野球も、
野球部の坊主強制が嫌で
中学ではバスケット部に入部。

デンジャラスなまでの 私の野球への情熱を奪ったのは坊主強制。

野球部を避けたところで、
中学2年の時に転校した埼玉の中学が、
部活に限らず男子は全員坊主強制。
さすがは翔んで埼玉。

なんだかね。

いずれにしても
数年後には天然坊主だし。

その時はバスケットも
そこそこ楽しくなっていたので、
野球に戻る気はなくなっていたかな。

ちなみに少年期に好きだった
音楽やアイドルは
別メニューのコラム「70’s」を

ではでは。