Column

2019年7月12日
愛おしき、平均力。

6月29日、土曜日。

♬「所沢ストーリー」
♬「ブルーライト所沢」
♬「所沢は今日も雨だった」
♬「所沢心中」
♬「そして所沢」
♬「雨の西所沢」

歌謡曲のような
情緒やロマンスとは縁遠い街、
所沢で催された
高校同期たちとの飲み会。

出席者はなんと30名強。

飲み会というより立派な
「同期会」と相成った。


会の2日後に、この会の幹事様から
1本のラインが届く。

「コラムまだか」

確かに余韻が覚めやらぬうちに
書くべきだろう。
6月は1本もコラム更新しなかったし。

幹事様の命を受け、
急ぎ書き上げてみたものの
内容が昨年10月のコラムと
ほぼ同様であることに気づく。

詳細は2018年10月26日 コラム参照
http://www.drnbasic.co.jp/column/20181024.html

う〜ん、
デビルマンやフリオイグレシアス、
ビューティペア再登場では、
あまりにも芸がない。

個人ブログサイトではなく、
勤務時間に会社のサイトとインフラを
利用しているからには
別のテーマを見出して書かねば。
(たとえ愛読者が数名だとしても)

ということで当日の同期会の状況を
改めてじっくり回想してみることに。

そこで浮かんできたキーワードが
「平均力」。

我が母校は
まったく特徴がないことが
最大の特徴とも言える
極めて平均的な公立高校だった。

一流国立大学に現役で
入るような秀才もいなければ、
3年B組加藤優のように
警察のお世話になるような
不良生徒もいない。

学力を競う緊張感も、
野犬のような不良たちにビクつく
ピリピリ感もない。

田園風景の残る「所沢」郊外という
中途半端な立地も相まって
とても平和な学校だった。

総じて、平均的(ほどほど)。

そうした環境で共に学んだ
同期生30数名が、30数年の時を経て
催された同期会。

客観的に見れば、
根本は何も変わっていない。

ステータスを牽制し合う
セレブ風の者もいなければ、
スジ者風の者もいない。

酒乱で暴れ出す者も、
腹踊りをはじめる者もいない。

当事者たちは思い切り
弾けているけど、
はたから見れば行儀の良い
「ほどほど」をわきまえた
中年男女の飲み会。


ここからは憶測。

この日集まった同期生たちが
母校を選んだ理由の根底にあるのは
「ほどほどの学校だから」だと思う。

「絶対この高校に行きたい」ではなく
妥協の末に選んだのだろう。
(憶測です)

「ここなら最低限の体面も保てる」
(憶測です)

修行僧のような探究心のある者や
諸々の犠牲を厭わず
他人を蹴落としてまで
頂き目指そうとする野心ある者は
はなから母校には入学してこない。

母校を選んだ時点で、
超上ブレも超下ブレもない
人生のレールに
乗っていたのかもしれない。
(憶測です)


「しょせん○○高だし」

ちょくちょく飲んでいる
同期の仲間たちとの会話で
今でも頻繁に使われる言葉である。


ただ、ここからが大事。
ここからが本題。

確かに、集合体としては
「平均」かもしれない。

ただ、一人ひとりは
平均的でも平凡でもない。

豊かな個性に溢れる人間性。

組織体の中で
「人には迷惑をかけない」
という気遣いと責任感は
間違いなく平均以上。


私の前で自身のとんだ波乱万丈さえも
さらりと笑い飛ばす同期たちの
笑顔の向こう側に想いを馳せてみる。

浮かんでくるのは
日々諸々なものと戦いながら
口惜しいことも
甘えたいことも口に出さず
体に鞭打って懸命に生きている姿。


でもそういった苦労も
敢えては口にしない。

青い時を過ごした仲間たちと、
青い時を懐かしむ場で
話すことではないことを
「わきまえ」ている。

「同期だから」だけが理由では
この上なく心地よい時間と
空気感は醸成されないと思う。

平均的な母校に身を置いたときから
たとえ自らが上手くいかずとも、
ほどほどを自覚し、
人には迷惑をかけまいと
生きてきた大人だけが醸せる空気感。

愛おしき平均力である。


ではでは。



後記

この同期会を機に、
チーム名を決めて
Tシャツでも作りたいなと。

母校のバスケ部OB会では、
走れない、止まれない、届かない…
の「ないない」尽くしの50代
ということで
「ナイナイ・フィフティーズ」 と題したTシャツを作成した。

さて、同期会をどう命名すべきか。
オーヤン・フィフティ?

「ゴレンジャー」ならぬ
アベレージをわきまえた集団
「アベレンジャー」?